7月12日~13日に行われたバスケットボールの大会

スーパーシニア(熊本市)九州大会(50歳以上のバスケットボールの大会)鹿児島県代表で奄美のチーム「ダンク」と鹿児島市のチームが合同チームとして九州大会に出場しました。結果は、1回戦熊本代表に競り勝ち、2回戦へ勝ち上がりましたが、福岡県にボロ負けでしたが、翌日3位決定戦とのことで、長崎代表に挑戦しましたが、接戦の末、残念ですが負けまして、九州4位となりました。熊本からの帰りに、鹿児島空港で孫と短い時間でしたが遊ぶことができました。

8月9日(雄二宅での歓迎会です)

うめのさんが帰省・哲己が異動で喜界島から帰ってきましたので一緒に歓迎会の同窓会をしました。

今回うめのさんは、両親が鹿児島の長男の元へ引っ越すことになって、片付け・いろいろな手続きなどの準備をするため帰ってきたそうです。島に帰ってくるのがなかなか難しくなるかもしれないけど、できるだけ帰れるように頑張ってください。

哲己については、7月初めに九電の異動で今回喜界島から、龍郷発電所に帰ってきました。奥さんと子供は、4月から一番上の子供が大高へ進学したとのことで、先に浦上へ来ていたそうです。二人の歓迎会の写真と、雄二が自分の庭に庭園を作ったので、趣のある和風庭園写真を送ります。

9月7日(奄美は敬老会・豊年相撲大会でした)

この写真は、雄二・勝行が住んでいる朝日自治会での一コマです。雄二は、余興担当としてそのままの格好して司会・舞台での踊りなど頑張っていました。勝行は、焼き鳥担当として、暑い中みんなのために焼いていました。

徳山(井口)恵津美さんのご不幸に対しての報告です。

恵津美さんが、9月16日午前2時21分に永眠いたしました。乃恵子と恵津美、連続で同窓生が亡くなるということになって大変辛いです。うめのと哲己の歓迎同窓会の時、電話でみんなと話をして、歌の歌えるマイクが欲しいとのことでしたので、純子がさばくって持っていくからねと言ったら、「やった」という声で嬉しそうないつもの恵津美でした。恵津美の子供が3名とも看護師の道を選んだのも恵津美の力だと思います。最後は、子供達3名仕事場の理解で母親の看病を自宅でしたということでした。いろんなことがありましたが、とにかく「人間ドック」や仕事場の検診を受けましょう。親より早く逝くのはだめです。

初めて、押川俊行の家へ遊びに行きました。

とにかく島にいる20名中15名の参加でした。

由美子やまみが久しぶりに集まりました。恵津美の葬式の日に話が出たとのことです。

朝日小第67回大運動会の一コマです。

6年生の親ですので、最後の母校での運動会でした。50代の長老3名でリレーにも出ました。私がアンカーで、受けたのは、ピー先輩(福山先輩)からです。正門のソテツのアーチは土曜日に親子作業で完成させました。